指のオーケストラ orchestra of fingers


『指が示す 指の行方』
戦争に行った祖父からの話である。まだ青年だった祖父は自身の小隊と共に北の戦地へ赴いた。そこは想像を絶する程の極寒で、寒さや飢えで倒れる者が後を絶たなかったという。特に寒さによる身体の壊死がひどく、どうにか生き残った者でも鼻や指を失ったという。祖父の戦友もその例に漏れず、利き手の指3本を失った。というよりもこの場合は「指2本を守り抜いた」と言った方が正しいのかもしれない。
祖父の戦友は仲間が倒れていくのを見て、暇な時には親指と人差し指を口に含むようになった。その結果中指、紅刺指、小指の3本は壊死したが親指と人差し指は無事であった。
…極寒の中で自分の体を守るには、自分の体内が一番だという結論に達したのだろうか。
「アイツは自分の指を必死に守ったんだ、懸命に指を暖めようとしていた…。なぁに、親指と人差し指があれば便利なものだよ。」
独り言のようなその思い出話を祖父がどのような表情で話していたか、今の私は覚えていない。私はその話を聞いた時、本当に幼く、ただただ映画のようなその話に圧倒されていた。
あの頃は祖父の観た凄惨なる現実を受け止めるのに必死だったが、今になってその話を振り返ってみると一つ疑問に思えることがある。それは「その後の彼の運命」だ。
果たして彼はその後の人生を、どちらの指を見つめて生きたのだろうか。失った指と守り抜いた指、彼の人生を変えたのは果たしてどちらの指であったのか。
気になるが、私の知ってはいけない領域のような気がして考えるのをやめた。どちらにせよ、その後の彼の人生には指がまつわり、指を抱えて生きたのだろう。何故ならばそれは彼を構成する一部なのだから。
部屋の照明に向けて手をかざす。指が5本あることを確認する。空気の鍵盤を揺らしてみる。全部ちゃんと動く。
その現実のありがたさを感じ、私は一人「てのひらを太陽に」をハミングするのであった。
願わくば、明日も私の指が5本ありますように。8本になったらそれはそれで嬉しいけど、でもやっぱり変わらず5本でいますように。
そしてこれからもずっと、この指で心の鍵盤を揺らしていけますように。
今まで当たり前だと思っていた現実の不変を、とても愛おしく思ったのであった。